2年ぶりとなる青森県

今回はご存じの方も多いと思いますが「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)

映画化された「八甲田山」高倉健・北大路欣也・三国連太郎(佐藤浩一の父)

の足跡を墓標と記念館から登山しました

時は

日清戦争に勝利をしてしまい世界的反感を私達日本が不穏な空気が国内に漂います

(まるで今のロシアですね)

ロシアからの侵略を恐れ登山というスポーツもないころ軍の命令で雪山登山訓練

雪中行軍で成果的に最大の山岳遭難となります。

青森県第五聯隊と弘前第三十一聯隊の比較です。

五聯隊は200数名(一泊二日)徴収兵(雪の少ない岩手県出身者多い)

31聯隊は30名(14泊15日)志願兵(主に訓練している青森県出身者)

映画では

青森第五聯隊は隊長・北大路欣也のちに上官として参加する三国連太郎(憎い役)

弘前三十一聯隊は高倉健は、それぞれの隊員に明確な役割を与え土地勘のある案内人を活用します

一方、青森第五聯隊は隊長が手配した案内人を暴言において上官が断り

指揮系統が崩れていきます

当時は二等兵は藁沓、上等兵と服装の違いも映画では表されています

また、無駄な雪ぞりや大量の装備(のちに何の使い物にならない)

一方 弘前三十一聯隊は同じ服装と入念な装備が用意されます。

先発した弘前三十一聯隊は平地から丹念に歩き雪に慣れ行進が続きます

遅れを取った青森第五聯隊は日本国中が大寒波の日を出発ここでも

隊長の意見は却下されます。

山は完全なホワイトアウト僅か10KM足らずで橇隊は遅れをとり

「たるんでいる」と、そもそも橇隊を編成することすら無茶苦茶です。

準備、計画、指揮系統、夫々の役割、の明暗です。

そんなことから青森第五聯隊はさ迷い彷徨します。

それぞれが命令、分散します。一泊二日の安易な気持ちと精神論が崩壊します

私自身も2度ほど迷い恥ずかしい話2時間のロス

山に特徴が少なくホワイトアウトなら左右南北東西天地、雪の中はわからなくなります。

遠くに津軽海峡、ついつい津軽海峡冬景色~~~♪が口から出ます

歩行中の沼地も多く起伏があり足元も悪く進みます

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青森第五聯隊がワンデリング(迷って気が付いたら元の場所)で3昼夜

次々と倒れ、服装や装備の不備、映画にもありましたズボンとボタンをはずすこともできず

一瞬の生生しい、尿の温かさに喜ぶ隊員、発狂する隊員、

いわば人数が多すぎて、気持ちも最初からバラバラ、天候や案内人を下げ遊み

隊は隊でなくなります。

三国連太郎役の長官は助かり病院に入院助かったものは200人中12名でのちに

病院で死亡が6名

長官(少将)は映画ではピストル自殺ですが、記念館によると軍幹部の恥を晒したくない

ために毒殺と書かれてました。

現在その八甲田山館の横にはお墓が並んでいます。

お墓が上官ほど大きい墓石には当たり前だったかもしれませんが

なんとも見比べると混乱させたもの幹部のやるべきことをしなかった人であっても

なにか腑に落ちない感じですね。ヒエラルキー

目的>目標>戦略>戦術>組織>人

人は分子構造、崩壊するとバラバラになります。肝に銘じます。